ひつじと四重奏

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いつか死ぬことを知っているということ

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十二月の末から、一月の半ばまで、ペットのヒョウモントカゲモドキがご飯を食べなかった。

ヒョウモントカゲモドキは食にうるさい生き物だと言われていて、食べ物に飽きたから食べないことは珍しくないらしい。

しかし、我が家で飼育しているヒョウモントカゲモドキ、ゴンちゃんは九年前うちに来た日から一度も食欲不振に陥ったことがなかったため、飼い主を大いに慌てさせた。

 

もう十歳になるし、そろそろ高齢で色々と衰えて来ているのかもしれない。

死んでしまった後のことも考えておかないと。

そう思い、ペット霊園なんかを調べてみたが、ゴンちゃんの隣に犬や猫が収められることがなんだか可哀そうで、休まらないのではないかと思えて仕方がなく、結局手元供養をしようと決めた。

 

なお、ゴンちゃんは現在食欲を取り戻しつつあり、今日もマイペースに眠ったり動いたり元気そのものである。

 

もしヒョウモントカゲモドキの食欲不振で悩んでいる方がいらっしゃれば、参考になるように普段の餌と食欲を取り戻すきっかけとなった餌のリンクを貼っておく。

 

いつもの餌↓

 

救世主の餌↓

 

 

さて同じ頃、訳あって田舎で暮らす父に現在お付き合いをしている男性を会わせる話が出た。

同居している気の早い祖母は、「あなたは長女だから、婿に来てもらうの?」と尋ねてきた。いや、おばあちゃん!確かに彼は次男であるがごめん、その時は多分私が苗字は変えることになると思う。

 

しかしいざ言われてみると気になるもので、家の相続や空き家になった際は土地をどのように活用するか、また行ったこともない田舎にある墓のことなど、将来押し寄せてくる選択の数々を意識してしまった。

 

田舎の親戚は顔も知らず、家を継いでいるのは現状父なので、父が他界した後は私に選択権が回ってくるのだろうか。

そうなると、行ったこともない墓の世話を毎年しに行くのか。

考えてみたけれどあまり現実的ではない。

 

今の親戚間のしがらみがあまりない状態で私が出した答えは、

親しい人の遺骨だけ手元に残して墓はたたんでしまおう。

というものである。呆気ない。

現代を生きる人間らしい考えだと思うので、反対する人は反対しそうだが、同じような状況の人は多いと思う。

 

手元に置く手段として、遺骨や遺灰をダイヤモンドに加工したり、中に空洞があるネックレスに直接入れるもの、置物にするタイプと今は色々と選べるらしい。

ダイヤモンドにするのは高いだろうし、アクセサリーばかり増えても首は一つしかないので困る。そういうわけで、置物がいいと思った。

 

置物なら扱いに困らないし、小さければ置き場所問題もある程度はクリア。複数並んでいても圧迫感なくお別れした人を身近に感じられるような気がした。

 

画像をクリックで詳細が出ます↓

 

ちなみに私は、樹木葬が良い。

野生の生き物と同じように、大木の栄養になりたい。

豪華なお葬式で送られたい人もいるだろうし、宇宙葬や海に撒くような供養もあって、今は命が終わった後まで多様な選択ができる。

いつか自分の命が尽きるというのを知っているのは、自分の人生を最後までプロデュースできるということで、これも人の特権だなと思うのである。

 

両親や祖父母が健在なうちからこうして将来のことまであれこれ心配してしまうのは、いつも下の子の挙動に気をまわしているという長女の気質からくるものだろうか。

なるようにしかならん。そんな肝の据わった人間に早くなりたい。