ひつじと四重奏

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無神論者だが、何も信じていないわけではないこと

日本人は無神論者が多いという。

かくいう私は、神社や寺に参拝したり、墨の匂いが好きで御朱印をもらったり、初詣に行ったりはする。

だけど、「天国も地獄もあるのかないのかわからない、多分ない。」と思っているし、苦しい時誰かに祈ることで救われたりもしない。

結局は自分の力が全てだと思って生きている。

 

それでも、山の影から朝日がさすと『神々しい』と感じている。

山にも海にもそれを守護している何者かがいると思うし、美しい泉を見れば何か神聖なものが住んでいるような気がするし、米粒には千人の神様が住んでいるという教えは大切に心の中へしまっている。

何かを大切にするために、昔の人は美しいものや尊いものを神格化して大事にしてきたのだろうなと思うとなんだか優しい気持ちになる。

そして、私も昔の人が数々のものに吹き込んだ命を信じ、大切にしていこうと思うのである。

 

昔のWWFの記事で、『龍を守ろう』という趣旨の記事がある。

 

龍を保護するためには、まず深い森や海、河などの自然を、広く保全しなくてはならない。
そして、こうした多様な景観を、単なる娯楽や金儲の対象、またさまざまな資源の母体と見なすのではなく、人類がまだ十分に知りえない、何か神秘的なものが生きる場所として、尊重する気持を持つことが必要だ。

 


街に捨てられたタバコの吸い殻やマスク、缶なんかの全てが大いなる自然にダメージを与えると思うと、地球に暮らす砂ころほどの一人として申し訳なさを感じるのだ。

 

龍を守ることは環境を守ること。

フィクションを愛するものとして、せめて私が何かを購入したり手放したりと選択する時には出会ったことのない美しい場所に住む美しい生物のことを考えたいと思っている。

そういう生き物を信じられることは、豊かなんじゃないだろうか。