ひつじと四重奏

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映画『おくりびと』を見たときのこと

とある年のお正月、私は実家暮らしの自分の部屋で、『おくりびと』を見た。
ツンと冷えた空気の中で、ハロゲンヒーターをつけ足元にパンダのブランケットをかけていた。
会社は年末年始の休みで、暇を持て余していた私は聞いたことはあるけど見たことはない映画をレンタルショップで求め、その日は『おくりびと』を見ることにしたのだった。
亡くなった人に化粧をし、身なりを整えて納棺する、納棺師という仕事をしている人の映画だった。

 

ここで私の祖父の話をさせてほしい。私の父方の祖父は昔から私たち姉妹のことが大好きで、酔っ払うたび私の家に電話をかけてきて幼い私と妹の声を聞きたがった。
小学校に上がるときにはわざわざ母方の祖父母宅に電話で、「ランドセルも勉強机もわしが買う」と宣言していた。
夏休みに遊びに行くと庭にお手製のプールを作ってくれたし、美味しい果物をたくさん買って置いておいてくれた。
祖父は四国に住んでいて、私は大きくなってから中々顔を出さず祖父は度々拗ねていた。
そんな祖父は癌で胃をとり、痩せながらも長生きして最後は脳梗塞で帰らぬ人となった。
コロナウイルスの影響で葬式には出席できず、母と私たち姉妹は家のリビングで、ただいつもと変わらずご飯を食べているしかできなかった。


不思議なもので、死に顔を見ていないと祖父はもう死んだのだと納得できない。
私は死んだことを受け止めながら、どこか祖父はまだ田舎の家にいるのじゃないかと思ったり、時にはベタに、空を見上げれば祖父を感じるような気がしたり、不安定な認識をしていた。

 

そんな時に『おくりびと』を見た。ボロボロに泣いた。突然悲しくなったのでも、恋しくなったのでもない。
祖父も、こんなふうに丁寧に体を拭いてもらい服を着せられて、生きていた時のように化粧をしてもらって大事に納棺されたのだと思うと安心したのだ。
大事な人が死んだ時、死に目に遭えなかった時、意識を手放した祖父の体は、私が見知った顔がついた体はどのように扱われたのか。それが無意識に気がかりだったんだなと気付いた。

 

おくりびと』は納棺師の話として、故人への敬意とプロへの尊敬が込められた映画だったと思う。
私を泣かせた映画はヴァイオレット・エヴァーガーデン犬と私の10の約束、そしておくりびとだけである。多いな。

 

父に結婚の挨拶をした時、やっと祖父に手を合わせることができた。
田舎に行っても仏壇に手を合わせるなんて面倒で適当にしていたけど、知っている人が入っていると真面目に手を合わせる気になるものだなと思った。


祖父の遺影は私が子どもの頃の写真で、黒髪で健康的痩せ型な祖父が誇らしそうに額の中にいた。